オーベルジュ「トロイメライ」 [想うまま・・・]
31年前の1983年、新婚旅行で長野県白馬村にある「トロイメライ」に宿泊した。
1981年「トロイメライ」開業2年の頃。
駅まで車で出迎えて下さった。
近くに熊が出たと聞いて驚いた。
部屋の窓から見える木立に、熊が現れないかと目を凝らす。
シーズンオフの平日だったので、宿泊客はもう1組同じく新婚カップルだけ。
そのカップルも翌日にはチェックアウト。
私達夫婦の貸切みたいになった。
ヨーロッパ風のたたずまいの館内には、静かなピアノ曲。
好き嫌いの多いわたしだったが、出された料理は残さず美味しく頂けた。
旅立ちの朝、ロゼのスリムサイズのワインボトルをプレゼントしてくださった。
結婚のお祝いに、あるいは新婚旅行の記念に、と。
曖昧な記憶だが、いずれかであった事は間違いない。
そのお心遣いを、とても温かく感じた事を覚えている。
館内で売っていたオリジナルキーホルダーを買って「トロイメライ」をあとにした。
「トロイメライ」での数日間、夢のような時が流れた。
それ以来、山あり谷あり、時には過酷な第二の人生が始まった。
当時は脱サラしてペンション経営する人が多かったペンション乱立時代。
幾多のペンションが掲載された一冊の雑誌の中で、わたしは「トロイメライ」を一目見て気に入った。
他とは一線を画した感。
パソコンや携帯などはまだ一般には普及していない時代。
情報は雑誌頼み。
結果「トロイメライ」 にして大正解だった。
その「トロイメライ」が、今やレストラン&ホテルのオーベルジュとして、とても有名になっていた。
ずっと再訪したかったが、早31年の時が経過。
昨年、真珠婚式を迎えた。
31年前は寒い季節に泊まったので、次は前庭のテラスで朝食の取れる春夏の季節に行きたい。
夫婦で元気なうちに。
11月22日22:08頃、長野県北部に震度6弱の大地震発生。
白馬村も被害地域である。
白馬村・・・
それで「トロイメライ」の事を思い出したのだ。
ネットで検索していると、オーナー西野亮氏が地震状況についてNHK の番組での電話取材に答えられていたという。
どうかお怪我などされていませんように。
べジブロス [料理]
たまたまテレビをつけたら、NHKの「ひるまえほっと」でべジブロスの番組を放映していた。
「べジブロス」
初めて聞く言葉。
作り方は簡単だ。
くず野菜とお酒少々を水から弱火でコトコト20~30分ぐらい煮ればいい、と番組内でタカコ ナカムラさんが説明されていた。
お酒は、臭みを消す効果があるようだ。
タカコ ナカムラさんは20年以上前からべジブロスを提唱されている。
ネットでは、べジブロスに向き不向きの野菜があると書いてあるが、サイトによって真逆の野菜が書いてあるので、やはり今日の番組で使われていた野菜やタカコ ナカムラさんの本などを参考にした方が確実だ。
私は、有機白米以外に有機玄米を使っている。
玄米は米粒を精米せず、表皮ごと食べる。
だから残留農薬の心配が生じる。
それゆえ、その心配がない有機のものを使うようにと聞いた。
べジブロスにも同様の事がいえるのではないか。
皮ごと煮込んだ煮汁を食べるのだから、無農薬無化学肥料の野菜だと安心だ。
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(お返事出来かねる内容に関しましては、コメント承認していません。)2007.12.01
追伸:当方、多忙のため、コメントへのお返事が出来なくなりましたが、すべて拝見いたしております。
言い得て妙 [想うまま・・・]
それに引きづられた惰性でグダグダの私を評して、夫が放った言葉。
『機能停止状態』
さらに子供が言った言葉。
『スリープモード』
思わず感心させられ、笑ってしまった。
あまりにピッタリの表現と、それぞれらしい言葉だったから。
シンプル イズ ベスト [想うまま・・・]
文章を書いてて、そう思った
心に浮かんだ言葉を取捨選択して書いたつもりでも
何度も読み返す中で、こだわっていた言葉さえ実は不要だったりする
何度も書き直して、言葉が文章がどんどんシンプルになっていく
それは文章に限った事ではない
たとえばファッションもメイクもインテリアも料理も・・・・・・
「基本」とか「初心」とか「断捨離」とか
すべてシンプルに繋がってるって思う
私は、シンプル イズ ベスト が好き
軌道修正 [想うまま・・・]
だから、その大元の原因を取り除いた
取り除けるものだから良かった
今もっと考えなきゃいけない事、やらなきゃいけない事があるのだから
今一番大事な時なんだから
そういう時に横道にそれさそうとする魔物が、人生には潜んでいるのかもしれない
眠れる才能 [想うまま・・・]
でも、その才能はごく一部の人にしかないものだろうか
自分には才能がないと思っている人は多いかもしれない
わたしもその一人だった
でも。。。
人には誰にでも秘めたる才能があるのではと最近思い始めた
ただそれが目覚めてないだけじゃないかと
一人一人個性があるように
その才能もまた、誰しもあると信じたい
才能よ、花開け!
ブログの功罪~私の場合~ [想うまま・・・]
数年ぶりの長文。
文章を考えるために、脳が活性化される。
鮮やかに、軽やかに。
コメントに対する返事にも、的確な言葉が次々に出てくる。
この感じ。。。
数年前にブログを書いてた頃のような、
思った事がスムーズに言葉になって出てくる、あの感じが甦る。
だけど。。。
推敲して記事にUPしては、また何度も読み返す。
そしてまた、部分的に書き直したりの繰り返し。
そこにコメントがつけば、またそのコメントに対して一生懸命考えて時間を費やして返事を書く。
ブログにのめりこむ。
ブログの完成度に時間を割く。
脳が活性化されるのは頭の体操になるしボケ防止効果は高いと思うんだけど、生活の時間を取られる。
数年前にブログを書いてた時に大事な実生活を犠牲にしていた、あの嫌な記憶を思い出す。
ネット中毒というものがある。
ブログもネットの産物。
ブログにも、ネットの魔物が潜んでいる。
今回、その事に再度気付かされた。
ただし、これはあくまで~私の場合~という事で。。。
NHK『カーネーション』より [心に残る言葉]
~近藤正臣さん扮する組合長の言葉~
とても鮮烈な言葉だった。
当たり前にあると思っている日常を、ただぼんやり過ごす事は、
残された命の時間の無駄遣いだと気付かされる。
本当は、日常って当たり前に在るわけではないのだろうなと思う。
どんなに世の中が変わっても、
科学や医学や文明が進歩しても、
人間の基本的な生活は変わらない。
だから人はずっとこのままの日常が続くと思ってるけど、
人も人を取り巻く環境も刻々と変化していて、
ある日、その変化が目に見えた時、
変わらないと思い込んでた、ありふれた日常は当たり前の存在ではなくなる。
当たり前に日常が送れるのは、実はとても幸せな事なんだ。
テキトーがモットーだという人がいる。
きっとその人は今までどうにかテキトーに生きてこられたんだろうけど、
人生ってそんな甘くない。
命が限り在ることを身近に感じられないが故にか、
一日一日をぼんやり怠惰に、あるいは流れに身を任せて生きるむなしさ。
あとどれくらい生きられるかわからないけど、残された時間を前向きに一生懸命生きたい。
生きたという証を、この脳裏に刻み付けて、満足して命を終わりたい。
年賀状 [想うまま・・・]
印刷しただけじゃつまらない。
やっぱり手書きの一言が欲しいな。
それも、「お元気ですか?」「会いたいね」等のありきたりな言葉や、
人によっては自慢に受け取られかねないような言葉じゃなくて。
今 あるべき自分 ① [想うまま・・・]
愚かな人間の愚かな行いに悩み
己が生命の時間を無駄にすることなかれ
彼らのつまらぬ行為に
心乱される事なく
心惑わされる事なかれ
歯牙にもかけず
泰然自若の境涯であれ
余計な事は考えず
今考えるべき事を考えよう
今やるべき事をやろう
己が命ある限り
一日一日を
精一杯生き抜こう
悔いなく生ききろう
「老い」の始まりに思う事 [想うまま・・・]
以来、嘆きと落胆、そして諦めの日々。
「生老病死」は、人の定め。
「老い」を迎える覚悟が出来ていなかった。
だが、ふと気付いた。
「老い」を認め、受け入れた上でこそ、これから先の生活が意義あるものに変わるのだ、と。
ようやく、人生の最終章へ向けてのスタート地点につけた。
JIN-仁ー語録 [心に残る言葉]
『こうして、また一つ、恩がたまっていく。
俺という小さな器の中に。
大切に、こぼさぬように、歩いていこうと思う。』
南方 仁の言葉
2009.11.29.(日) TBSテレビ 「JIN-仁ー」より
わたしに贈る言葉 [想うまま・・・]
出来ない言い訳は、いくらでもある。
それは、出来ないのではなく、遣(や)らないだけ。
本当に出来ない事と、遣らない事は違う。
遣らない事は、考えてばかりで行動しないという事。
言い訳は、結局自分をごまかしているにすぎない。
プラスの意志を働かせるか、マイナスの意思が働くか。
見る前に翔べ!
「翔」
自分自身に贈る一文字。
生き方の礎とせん。
今日という日に乾杯☆
心の鏡 [想うまま・・・]
相手に対して、こうしてくれないという不満や、こうしてほしいという願い。
親と子、夫と妻、 他者と自分etc. お互いは、お互いの鏡 。
不満や願いの鏡は、相手も自分に不満や願いを持っているという事。
心の鏡が曇っていると、相手への不満や願いばかりが募り、愚痴や文句しか出てこなくなる。
自分を取り巻く人や環境のせいにしていては、いつまでたっても何も変わらない。
心の鏡を磨くために、まず自らが率先して変わる事。
結局、自分自身が変わらなければ、周りを変える事など出来ないから。
変わるには、生命力が必須!
コンプレックス [想うまま・・・]
たまに会う親戚は、妹を見て「綺麗になったね。」と言い、
その後、わたしを見て「・・・大きくなったね。」と言う。
このリアクションの違いに、思春期の頃は少なからず傷ついた。
だから容姿に関しては、幼い頃からコンプレックスのかたまり。
そして、高校生の頃、気にも留めていなかった自分の性格に、
クラスメートからの一言が心に突き刺さった。
「陰気だよね。」
まだ根暗って言われたほうがマシだったなぁ・・・
「陰気」という言葉は、その後トラウマのようにわたしの心に引っかかり、
自分の性格にコンプレックスを抱くようになった。
繰り返す転勤と社宅暮らし。
いろいろなタイプの人に出会っては傷つき、
時には人間関係のストレスから体調を崩し、精密検査を受ける事数度。
人間関係だけでなく、乗り越えなければ生きていけない幾つもの壁。
その壁は、生きていれば人それぞれ誰にでもある事。
今でも傷つきやすく打たれ弱いが、若い頃のようなひ弱さはない。
歳月の中で人生の荒波を乗り越えてきた経験が、自分をたくましくしてくれた。
もちろんこれからだって、いろいろな困難があるに違いない。
コンプレックスについて、恩師の珠玉の言葉を目にした。
なんだか目の前が開けるような思いがした。
『コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。
すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のひだは深くなる。
心の響きも豊かになり、人の心がわかる人間になれる。』
あれから長い時が過ぎ、今はもう容姿もさして気にならず、
陰気な性格とは誰も思わないくらいになった。
(私の別ブログで書いていた記事を、お引越しして一部修正しました。)
手書きのぬくもり [想うまま・・・]
知人に手紙を書いた。
何年もの間、書いてなかった手書きの便り。
携帯が出始めて若者に流行り出した頃は、なじめなかった。
「わたしは絶対携帯は持たない!」と宣言していたのに、今では携帯やPCでのメール一辺倒。
だから今回の事は、とても良い経験。
文房具店で、花の便箋と封筒を選んだ。
郵便局では、丁度、花の記念切手が売っていた。
下書きと清書に何時間もかけた。
手書きは、一年に一度、師走のあわただしい時期、PCで印刷した年賀状に一言書き添える程度。
メモを取る時になぐり書きして、後から読めない事など、しょっちゅうの文字。
手紙文の書き方も、すっかり忘れていた。
苦心しながらも、楽しくて有意義なひとときを過ごす事が出来た。
久しぶりに、手書きの手紙を書いてみて感じた事。
とうの昔に忘れていた大事なぬくもり。
送った相手の方から「直筆の温かさに勝るものはない」という過分なお言葉。
とても、うれしかった.☆.・∴.・∵
書き手側にも読み手側にも、人の手を通したぬくもりを感じさせる事実が、確かにあった。
(私の別ブログで書いていた記事を、お引越しして一部修正しました。)
気力が低下している時は [健康]
無理にあれこれしない方がいいのかも。
この一週間、どうにも気力が出ない。
更年期障害のせいか、軽度のうつ症状か。
家事も手抜きになってしまい、家族には迷惑をかけている。
時々陥る気力低下状態に対して、幸いにも家族は理解があるので助かる。
でも内心、家族に対して「悪いな~。」と思ってはいるのだ。
わたしの場合、十日前後もすると、そろそろ意欲が出てくるみたい。
だから、こと自分に関しては、気力が低下している時は、無理せず焦らず、ゆっくり時を待つとしよう。
輝く月の見える丘にて [想うまま・・・]
天井まで届く大きな窓から、輝く月の光が差し込んでくる。
わたしは、月の光が好き。
その清新な光を浴びて、わたしの心は透明になる。
澄んだ心で、ありのままのわたしを見つめていこう。
飾らぬ言葉で、感じるままに書いていこう。
春一番の日に [想うまま・・・]
3月の陽気だという今日、ある同窓の友の集いに参加した。
心に残ったのは、「人生の春は戦って勝ち取る」という師の言葉。
季節の春は、冬の寒さを耐え忍べば迎える事が出来る。
だが人生の春は、忍耐と闘争で勝ち取るもの。
集いが終わって外に出た途端、嵐のような春一番。
冷たい空気に、現実を知らされる思い。
季節も人生も、まだまだ冬。
桜梅桃李(おうばいとうり) [想うまま・・・]
好きな歌
世界に一つだけの花
好きな言葉
桜梅桃李
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李(すもも)は李。
似ているように見えるが、それぞれ違う個性を持つ花々。
人には皆個性がある。
時に、自分らしさを見失い、自信喪失する事もあるけれど、
人と比べる事は虚しい。
人と比べて、その優劣をつけてしまう事はおかしい。
だって、この世に生まれてきたからには、絶対自分にしかない使命があるのだから。
冬は必ず春となる [想うまま・・・]
今年の冬は、例年になく寒い。
それでも、必ず季節の春は巡ってくる。
人生もまた然り。
苦しい冬の人生の只中で、必ず春が来ると信じている。
この言葉を、いつも心に繰り返しながら。
冬は必ず春となる
冬来りなば、春遠からじ
心の財(たから) [想うまま・・・]
我が人生の指針
蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり
どんなに物質的な財産があったとしても、
どんなに才能に恵まれ地位や名誉を得たとしても、
それらをもってして人生の途上に起こる様々な苦や理不尽な世を乗り越える事は出来ない。
自己の弱さに打ち勝つ強き一念 。
他者の痛みを同苦出来る心。
心の財を求めていく生き方の中で、
初めて蔵の財や身の財もその真価を発揮できるといえまいか。
凛として [想うまま・・・]
新たな一年の始まり。
「一年の計は元旦にあり」
子供の頃から馴染んできた言葉。
いつも最初から高すぎる目標、欲張りな計画。
そして挫折、あきらめ・・・
だからホップ、ステップ、ジャンプ。
時には後戻りしたっていいかな。
一番の敵は自分自身の弱さ。
自己の壁を破る闘い。
元旦は特別心が引き締まる。
外気の冷たさが、さらに拍車をかける。
背筋を伸ばして凛として、新しい自分史を始めよう。
年の瀬 [お気に入り]
わたしは、年の瀬のあわただしい空気が好き。
大掃除、新年の買出し。
街は新しい年を迎える準備で活気に満ちている。
どんな年であったかと一年をしみじみ顧みる事の出来る時。
わたしは、夕日が好き。
一日の疲れを癒すような温もりを感じるから。
一日の終わりと一年の終わり。
終わりの時に感じる名残惜しさ、切なさ。
去りゆく時をいとおしむ気持ち。
年の瀬と夕日に感じる哀切は、なんだか似ている。
ゆっくり [想うまま・・・]
生きるペースは人それぞれ。
わたしは、ゆっくりゆっくり。
人の生きるスピードがうらやましいと思った事があった。
そのスピードに合わせようとした事もあった。
でも、すぐに息切れ・・・
疲れて後が続かなかった。
やっぱり、わたしは、こういうリズムでしか生きられない。
わたしの個性だと思えばいいかな、と次第に思えるようになった。
ああ~、片付け [想うまま・・・]
マンションにお引越しした。
せ、せまい!!!
ダンボールの荷物が開けられない。
開けても、入れる場所がないから。
まだ使えそうだと残しておいた物を捨てるしかない。
なんだか勿体無いけれど、快適に過ごすためには仕方ない。
でも、わたしは片付けるのが苦手・・・
目に付いた時、思い付いた時に片付ければいいのはわかってるんだけど。
片付けないまま放置して、さらに溜まっていく、この繰り返し。
そこで収納用品を買う。
収納用品ばかり買っても根本的に不用品を始末しないから、今度は収納用品が部屋を狭くする。
不用品かどうかを判断するのも迷ってしまう。
片付けしようと思うと、ことさら気力が必要。
そんなに身構える事はないのだろうけれど、苦手な人間にとってはそんなもの。
それに片付けは体力もいるし。
あ~、もうなんて億劫なの!
だけど、億劫なんて言ってたら結局何にも出来ない。
わたしの来年の課題だ。